文章を書くのは難しい

昨日の文章は、言いたいことが、きちんと伝えられていなかったかもしれない。ふと気になった。でもまあ、初心者が十全な文章なんて書けるはずがない、とも思う。やはり修練は必要。

 

もう一度よく考えてみて、ぼくがはじめに伝えたいこと。

それは、ひとことで言うなら、好きなことをして、好きな人々に囲まれて、好きな場所で生きて欲しいということ。それは、簡単ではないけど不可能という訳でも無い。学校や世間ではあんまり言われない言葉だけど、それができれば幸せな人生と言える。と、思う。

 

その為に、何をすればいいのか、それに簡単な回答は無い。でも少しひねくれた、逆の言い回しは出来る。やる必要のないことはやらない。無駄な価値観に囚われない。みたいに、日常から無駄な部分を省いていくことは、人生を充実させるために、とても有効な姿勢だと感じている。

 

 

あんまり長くするとまたブレちゃう気がするので、今日はここまで。

今日は強い雨と風に、春の息吹を感じたよ。

生きていく為に

人間、生活の心配がなければ創作するのはやさしいことだ。だが利子生活者でもない以上、精神的売春をする以外、創作だけで生きていけるものではない。それがいやならほかの仕事をすることだ。しかしそうなるとまた、いろいろ不都合が出てくる。数種の職業を持っていると、アマチュアというレッテルがつく。だがしかし、その世間でいうところのアマチュアが、数種の職業においてそれぞれプロであるとこいうこともありえるのだ。―ボリス・ヴィアン

 

 

生活の糧を得ないといけない。と、こんな当たり前のことを僕が知ったのは、大学院を卒業した春のことだった。大学で僕は絵を描いて過ごしていた。そして周囲の人間もみんな絵を描いていた。日々関わる人々は皆、美術に関わっていて、話題もほぼすべてが美術に関することだった。美術界、技術、表現内容。そういったものを一生懸命追いかけていて、生活手段なんて全く考えない世界。いま思うと嘘みたいだけど、大学の中にそういう世界があるのは事実だ。

 

まあ、それはそうとして、温室のような大学を卒業すれば誰しも、世間の常識と自分の常識を摺り合わせる必要が出て来る。お金がないと暮らすことは出来ない。社会生活の初めにあるルール。しかし、美術界とあまりにかけ離れた価値観に僕は目眩がした。この世界では、生きていけないかもしれないと思った。

 

そこで、出会った言葉が冒頭のボリス・ヴィアンの言葉。要は、精神的売春をせずに生きていく方法について。

 

論理的にいうと『人間、生活の心配がなければ創作するのはやさしいことだ。だが利子生活者でもない以上、精神的売春をする以外、創作だけで生きていけるものではない』ここまでは正しい。しかし、それ以降のセンテンス『数種の職業においてそれぞれプロである』ことは精神的売春を回避する為の方法にはなり得ない。

ゆえに、僕は利子生活者になるための生活を歩んでいくことになります。

はじめに。

見てくれて、ありがとう。

僕は今まで何度かブログを書こうかと思ったけど、全然続きませんでした。

でも、書きたいことがないわけじゃない。たぶん、気持ちが色々矛盾しているし、考えが纏まっていなくて、だんだん辻褄が合わなくなっている感覚が強くなって、消したくなっちゃうんだよね。

 

まあ、でも僕もいつまでも生きてるわけじゃないから、何を考えて生きていたのか伝えておきたい人もいるから、なんとか手探りで言葉を紡いでいけたらなと思います。

 

それでは、未熟な文章ではあると思いますが、よろしくお願いします。